大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

和歌山地方裁判所 昭和38年(ヨ)153号 判決 1965年1月18日

一五三号(甲)事件申請人 宮本留雄外四〇名

一八九号(乙)事件被申請人 松沢炭礦労働組合

一五三号(甲)事件被申請人 一八九号(乙)事件申請人 吉谷鉱業所松沢炭礦こと 平井太郎

主文

一、甲事件について。

1  申請人等の本件仮処分申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人等の負担とする。

二、乙事件について。

1  被申請人組合は、その所属組合員または第三者をして、同事件申請人側の被用者が別紙第一図面中の第一番坑坑口より出入すること、及び石炭鉱業合理化事業団の職員が石炭鉱業合理化臨時措置法に基づいて整理促進交付金額の査定をするため、右図面中の朱線を以つて囲む区域の事業場において現地調査をすることを妨害させてはならない。

2  被申請人組合は、その所属組合員または第三者をして、別紙第二図面に示す第一番坑坑内へ立ち入らせてはならない。

3  申請人のその余の仮処分申請を却下する。

4  申請費用は被申請人組合の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、甲事件について。

申請人等代理人は、「被申請人は、申請人等を被申請人の従業員として取り扱い、申請人等に対しそれぞれ別紙賃金等の一覧表記載の金員を昭和三八年七月一日以降本案判決確定に至るまで毎月一〇日限り支払わねばならない」との裁判を求め、被申請人代理人は、「本件仮処分申請を却下する」との裁判を求めた。

二、乙事件について。

申請人代理人は、「被申請人組合は、その所属組合員または第三者をして、申請人側従業員が別紙第一図面中の第一番坑坑口より出入することを妨害し、または石炭鉱業合理化事業団の職員が石炭鉱業合理化臨時措置法に基づいて整理促進交付金額の査定をするため、右図面中の朱線を以つて囲む区域の事業場において現地調査をすることを妨害させてはならない。被申請人組合は、その所属組合員または第三者をして、別紙第二図面に示す第一番坑坑内へ立ち入らせてはならない。執行吏は、右命令の実効を期するため、公示その他の適当な措置をしなければならない。申請費用は、被申請人組合の負担とする」との裁判を求め、被申請人組合代理人は、「本件仮処分申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする」との裁判を求めた。

第二、甲事件についての申請人等の申請の理由

一、(一) 被申請人は、昭和二〇年一二月、和歌山県東牟婁郡熊野川町宮井一二五番地附近一帯の石炭の採掘を目的とする鉱業権を取得し、同月二〇日頃より同所において、吉谷鉱業所松沢炭礦(以下、松沢炭礦と略称する。)という名称で無煙石炭の採掘及びその販売の事業を開始し、申請外金谷春雄を鉱業代理人として、昭和三八年六月末日まで右事業を継続してきたものである。

(二) 申請人等は、それぞれ、別紙賃金等一覧表記載の各採用年月日に同表記載の各職種によつて被申請人に雇用され、同表記載のとおりの賃金を得ている従業員であり、且つ申請人等で構成されている松沢炭礦労働組合(閉山当時の組合員数は、一二三名)の組合員である。

二、被申請人は、昭和三八年五月二八日、申請人等を含む全従業員に対し経営不振を理由に同年六月三〇日限り松沢炭礦を閉山すると同時に全従業員を解雇する旨の予告をした。そして、同年七月一日以降同炭礦を閉鎖し、同日以降は、申請人等がそれぞれ労務を提供するにもかかわらず、被申請人は申請人等を従業員として取り扱わず、且つ、同日以降の賃金を支払わない。

三、(一) ところで、申請人等に対しては、被申請人より右のとおり解雇の予告はあつたのであるが、未だ、これに基づく解雇の意思表示がされていない。従つて、本件解雇は未だ不成立である。

(二) かりに、右理由がないとしても、本件解雇は、次の理由により無効である。

(1)  被申請人と松沢炭礦労働組合との間に締結された労働協約第一〇条には、「本協約で人事とは採用解雇退職休職及びこれに準ずる一切の措置をいい、甲(松沢炭礦)乙(松沢炭礦労働組合)協議の上これを行う。但し、採用については甲の責任に於て行う。」と規定されているが、本件解雇は、右規定に違反し、右労働組合とは何の協議もしないで行われたものであるから、無効である。すなわち、

(イ) 昭和三八年三月の賃上げ春斗における第二回の団体交渉の際、被申請人側より突然閉山の申出があつたことがある。しかし、このときは組合側が反対したため、被申請人側は、即日右申出を撤回した。そして、その後同年四月二三日の第八回の団体交渉において、右春斗による賃上げ要求が妥結するまでの間には、一切被申請人側より閉山の話など出なかつたところ同年五月二八日に至り、いきなり前記のとおり解雇の予告がなされた。しかも、これについては何等納得のいく説明もなかつたので、当時組合側は、被申請人に対し閉山の理由について十分検討した上で協議に臨みたいから直ぐ協議会を開くよう申し入れたところ、被申請人側は、経営者として決めたことだから話し合う余地はないと高圧的一方的に閉山決定を押しつけ、何等協議に応じようとはしなかつたのである。

(ロ) ところで、前記協約第一〇条は、同協約第一一条等と共に規範的効力を有する規定と解すべきであるから、同条違反の解雇は無効である。その理由は、解雇は労働者にとつて、その労働関係を終了せしめる点において最大の待遇の変更であり、解雇の条件は、その最も重要な労働条件をなすものといわねばならないから、その条件についての協約の定めは、むしろ賃金、労働時間等に関する定め以上に強い理由で労働組合法第一六条にいわゆる「労働条件その他の労働者の待遇に関する基準」に該当するものというべく、解雇の有効要件をなすものといわねばならないからである。このことは、もし右規定を以て債務的効力を有するに過ぎないものと解するにおいては、単に均衡を失するということだけに止まらず、債務不履行の責任を問うに当つての損害の立証等において実際上至難な問題があるため、事実上右権利行使を殆んど不可能とし、右規定の存在が有名無実のものとなる点からもいえることである。

(ハ) また、前記協約第一〇条は、本件のように閉山に伴う従業員の全員解雇の場合にも適用されるのであつて、同協約第五七条にいわゆる「労資協議会に対する報告」だけで足りるものではない。すなわち、右第五七条は、「甲は左の事項については協議会において報告する」と規定し、更に右報告事項として、同条第一号は「生産計画及びこれを実行する為に必要な人事及び作業計画に関する事項」、第二号は「甲の機構の改革事業の合併分離譲渡等に関する事項」をそれぞれ掲げているが、企業の廃止の場合については、何等規定していない。その理由は、もともと労資協議会そのものが事業の正常な運営発展をはかるため設置されたもの(同協約第五五条)であつて、企業の廃止のような場合をも予定して設けられたものではないからである。従つて、企業廃止の場合が右第五七条にいわゆる報告事項とは解せられないのである。結局、同協約には、特に企業廃止を前提とする解雇手続については、明確な規定を欠くのであるが、このような場合にも、やはり協約第一〇条による協議を要するものと解すべきである。

(2)  次に、本件解雇は、これを行うべき正当な理由は何もないから無効である。すなわち、被申請人がその従業員を解雇するには、前記協約第一一条に規定する(1)ないし(5)のいずれかに該当する場合のほか正当な理由がなければならないというべきところ、本件解雇は、同条(4)の「已むを得ぬ業務上の都合による場合」に該るものとして行われたものと思われるが、松沢炭礦は、その点では何等閉山しなければならぬ理由はなく、従つて、これを理由とする解雇もその理由がない。すなわち、

(イ) いわゆるエネルギー革命による石炭産業斜陽化の問題も、我が国においては、それほど懸念すべき問題ではなく、ことに無煙炭業界に関する限りは、かえつて好況とさえいえるのである。なるほど、我が国における熱エネルギーの消費量の比率が近年石炭から石油へと次第にその比重が移行してきていること、そして一般に石炭産業界がかつての石炭ブームの時期に比べてその利潤が相対的に低下していることなどは認めないわけではない。しかしながら、我が国における石炭生産の現状は、生産目標を大幅に下廻つている実情であり、一方読売新聞(昭和三八年一一月九日付和歌山版)の報ずるところによれば、需要面においても、一般炭は食品化学業界で、原料炭は鉄鋼業界で、それぞれ相当の需要があるほか、電力業界においても中部、東京、両電力会社を中心に出水率が悪いため、いきおい石炭需要増に向う見通しが強く、特に家庭用暖房炭の不足が考えられるとのことである。そして、このような需給状況の下で、石炭協会は、配炭調整委員会を設置し、石炭の安定供給に努力している実情である(同年一〇月一一日付サンケイ新聞和歌山版朝刊)。このようにみてくると、一般に石炭産業界の将来も、被申請人の主張するほど暗いものではない。ことに、無煙炭については、それが石灰、煉炭、豆炭等の生産に欠くことができないものであるところにより、むしろ無煙炭業界は、好景気でさえあることは、以下数字の示すところからも明らかである。

<1> 先ず国内におけるその需給関係からみてみると、通産省の大臣官房課官房調査統計部発行の統計月報によれば、無煙炭の生産と荷渡しとの関係は、昭和三四年度ないし三八年度の間において、前者が年間それぞれ一、六五五、〇〇〇トン、一、八三二、〇〇〇トン、一、九一〇、〇〇〇トン、一、八六九、〇〇〇トン、一、七九八、〇〇〇トンであるのに対し、後者は、それぞれ一、六六〇、〇〇〇トン、一、八八〇、〇〇〇トン、二、〇五六、〇〇〇トン、一、九八九、〇〇〇トン、一、九七八、〇〇〇トンの多きに上つており(和田末治の証言)、<2>、このように供給が需要に伴わないところより、外国炭を昭和三四年ないし三八年の間において毎年それぞれ五五五、三五二トン、八〇九、一四六トン、一、二二四、六〇二トン、一、〇三〇、二五三トン、一、一二七、〇三一トンというように輸入している位である。<3>、また国内無煙炭の炭価についてみても、昭和三五年ないし三七年の間において阪神地方がトン当りそれぞれ五、六〇〇円、五、八三五円、五、六八〇円、名古屋地方が同じく五、九〇〇円、五、九四六円、五、八〇〇円、京浜地方が同じく五、九五九円、五、九三〇円、五、七八〇円となつており(戸木田嘉久の証言)、その指数は、昭和三五年度を一〇〇とすると、昭和三六年度が一〇〇、三パーセント、昭和三七年度が一〇〇、七パーセント、そして昭和三八年度に至つては、一〇一、七パーセントと上昇している実情である。以上の次第で、被申請人の主張するいわゆる石炭産業斜陽化の問題も、本件閉山の理由として取り上げるに値しないものである。

(ロ) 更に、松沢炭礦の経営の実態に関する被申請人の主張も信用できない。すなわち、

a 先ず松沢炭礦の欠損金なるものについて検討してみるに、被申請人は、昭和三七年度だけで一一、〇〇〇、〇〇〇円の欠損金を生じ、従来の累積欠損金を合わせると、約七〇、〇〇〇、〇〇〇円に上ると主張するのであるが、これを証明する被申請人側の作成した書類である<1>乙第三号証、<2>同第八号証を含めた甲第一一号証の第五表、<3>、甲第六ないし第八号証、<4>、乙第二五ないし第二九号証等は、いずれも数字の上で相当のくい違いがあり、一体いずれを信用してよいのか分らない。更に、昭和三六年度の銀行預金についてみると、松沢炭礦が中小企業金融公庫から融資を受けた際、その代理機関であつた紀陽銀行において、申請人側が調査確認したところでは、同年度における松沢炭礦の銀行預金は総額二一、七六三、〇〇〇円で紀陽銀行一行だけでも一八、〇〇〇、〇〇〇円の多きに上つている(尾嶝博の証言)。ところが、前記甲第一一号証の第五表によると、同年度の預金総額は、一五、四七五、五二四円に過ぎず、この間、実に六、二八七七、四七六円の差が認められる。すると、かりに右第五表のその他の数字がそのとおり間違いないものであるとして、右預金の差額から同年度の欠損金二、〇七二、五一三円を差し引くと、かえつて同年度は四、二一四、九六三円の黒字にさえなる。また昭和三七年度の出炭原価、総販売原価等も、前記甲第一一号証の第七表の記載と、金谷春雄の証言との間には、かなりのくい違いが認められるほか、同年度の販売費、一般管理費等についてみても、右第七表、第八表等に計上されている数字は、筑豊炭礦等の大手炭礦と比べても、余りにも多過ぎるのであり信用できない。以上の事例だけからみても、松沢炭礦の貸借対照表その他の決算書類は、真実の経理を記載したものとは認められず、従つて、その欠損金なるものも信用できない。かえつて、松沢炭礦の経営が堅調であつたことは、銀行方面でもこれを認めており、同炭礦に対しては、融通手形でも普通の商業手形と同じ扱いで日歩二銭六厘の割引料しかとつておらず、また同炭礦はかつて不渡り手形を出したこともなく、名古屋無煙炭KKに対する借受金等も全額返済している実情である。

b 次に松沢炭礦の石炭(以下、松沢炭と略称する。)の販売状況であるが、これも被申請人の主張するほど行きづまつているものとは思われない。先ず、被申請人は松沢炭が売れない原因として、硫黄分の多いこと、粉炭が多く(七割)、塊炭が少ない(三割)ことを挙げているが、松沢炭に硫黄分の多いことは、今に始つたことではなく、また、紀和炭礦の石炭が松沢炭と同じような条件下にあるにもかかわらず現在なお労働者を募集してまで生産を続けていることからみても、右理由が根拠のないものであることが分る。そして、粉炭については、豆、煉炭製造用として従来相当売れている実績もあり(乙第七号証)、その他小工場では、コストを切り下げる意味でこれが使用されてきているのであり(金谷春雄の証言)、更に閉山時の貯炭約三、〇〇〇トンも全部売れている実情である(和田周二の証言)。なお、松沢炭の従来の販売量についても、前記乙第七号証の記載は、そのまま信用できない。例えば、取引先のうち、名古屋無煙炭KK、金商又一KK、小林商事KK、KK藤田商店、山陽KK、KK宗像商会、三栄鉄工KK、小野田セメントKKだけについてみても、横川治三郎、土居商作等の各証言によれば、実際の取引量は、いずれも前記乙第七号証の記載を上廻つていることが容易に看取できるのである。そして一方、被申請人は、昭和三五年に設備投資資金として一、〇〇〇万円、昭和三七、八年にかけて運転資金として一、七〇〇万円のそれぞれ融資を受けて、コンプレツサー、ダンプカー等を購入し、更にボタ土場、ボツク等の拡充整備をし、従業員宿舎の建設等をも行い、新炭層の採掘に備えていた事実すらあるのであり、以上の事実に前記無煙炭業界の実情を合わせ考えると、松沢炭の売れ行きが行きづまつているものとは到底考えられないのである。

結局、以上いずれの点からみても、松沢炭礦の閉山が前記「已むを得ぬ業務上の都合による場合」に該るものとは認められないのである。

(3)  かりに本件のように閉山に伴う従業員全員の解雇の場合には、前記協約第一〇条、第一一条等が適用されないものとしても、本件閉山は、組合壊滅を狙つた偽装のものであるから、これに伴う本件解雇は、不当労働行為として無効であるばかりでなく、このような行為は、営業廃止の自由の濫用であると同時に公序良俗にも違反するものであるから、これに伴う本件解雇は無効である。そして、このことは前記のとおり被申請人が閉山の理由として主張する経営の行きづまりなるものが認められないこと自体からも十分うかがえるところであるが、更に、これに加えて、従来被申請人側が現組合ないし組合幹部に対しとつてきた態度と合わせ考えると一層明白であるといわねばならない。すなわち、

(イ) 松沢炭礦は、昭和二〇年頃、同炭礦に初めて組合が結成されて以来、昭和三六年八月、木下良雄を委員長、南賢一を副委員長、森本幹雄を書記長とする組合執行部(以下、旧執行部と略称する。)が総辞職するに至るまでの間は、経営者の巧妙な懐柔策によつて完全に骨抜きにされた御用組合の上に安住して、労働基準法を無視した長時間労働と比類のない低賃金とに支えられて経営されてきた。すなわち、松沢炭礦の従業員の平均賃金は、残業手当を含めて昭和三五年度において一三、〇〇〇円、翌三六年三月現在において一七、二四〇円という低賃金ぶりであつたが、しかも旧執行部はこれに対し争議行為一つしたこともなく、年末手当も一人一、五〇〇円ないし二、〇〇〇円位で満足するといつた状態であつた。そして、被申請人側もこのような執行部役員等(前記南賢一及び森本幹雄)を会社の功労者として、その任期中にもかかわらず職員に抜擢優遇し、組合を益々骨抜きにしたが、その御用組合ぶりも、旧執行部が組合大会にはかることもせず、勝手に昭和三六年八月分の賃金を一人約二、〇〇〇ないし三、〇〇〇円賃下げすることを承諾し、しかも組合員のこれが撤回要求に対し「一たん吐いた唾は呑めない」とこれを拒絶するに及んで頂点に達した。そして右賃下げ事件を契機として組合員の権利意識も漸く目覚め始め、旧執行部は総辞職し、その頃、新たに委員長に佐藤、副委員長に申請人松本幸成、書記長に同宮本留雄、執行委員に同大堀晴生、同松実豊繁等が選ばれ、更に翌三七年九月頃の役員改選で右宮本留雄を委員長とする現執行部が誕生するに及んで組合活動もいよいよ活発になつてきた。

(ロ) 先ず昭和三六年八月の役員改選後、前記賃下げを撤回させたのみならず、更に選炭夫の賃金を一日一六九円から二一〇円に、よう水夫のそれを三七〇円から六五〇円に、浴場夫のそれを三〇〇円から五六七円にする等大幅な賃上げを獲得した。そして昭和三七年の年末斗争では、組合結成以来初めて一〇、〇〇〇円の年末手当を獲得し、次いで、翌三八年の前記春斗の結果、賃上げ等に多大の成果を挙げることができた。そのほか、組合の活動は企業外にも発展し、昭和三七年一二月には申請人等の組合が中心になつて紀南労協傘下の全逓熊野川班、和教組東牟婁支部第五部会、熊野川町職員組合等と共に労働者と町民の生活を守り地方の民主化を図る目的で熊野川町生活を守る共斗会議を結成し、申請人宮本留雄がその議長となり、町職員組合の年末斗争、町立病院運営の民主化、選挙違反の摘発等に目覚しい活躍ぶりを示した。

(ハ) ここにおいて、被申請人側は、あらゆる手段で組合運営に対する不当介入、組合員に対する不利益待遇を行い、組合の分裂切り崩しに躍起となつてきた。すなわち、宮本委員長に対しては、会社に協力すれば職員に抜擢するような口吻を洩らしたり、金員の提供を申し出る等して誘惑し、或いは執行委員を止めなければ解雇すると脅し、一方他の組合員等に対しては、「今の執行部はアカだから信用するとひどい目に遇うぞ、このままでは山がつぶれる」等といつて執行部を誹謗し、これと一般組合等との間の離間を図る等の挙に出で、一方、町当局の理事者方面からも前記共斗会議の中核である申請人等の組合を打倒せよとの火の手が上るに至つた。しかしながら、現組合執行部はよくこれに耐え、その活動は全く停滞することがなかつた。そしてこのようないきさつを経て前記のとおり突然に閉山が通告されるに至つたのであるが、以上のようないきさつに、鉱業代理人金谷春雄の「組合の幹部とはものをいうのも嫌だ。前の執行部のような組合であれば再開について話し合いしないでもない」等の一連の言辞を合わせ考えると、本件閉山がエネルギー革命の俗論に便乗した偽装のものであつて組合壊滅を狙つたものであることは明らかである。

四、ところで、申請人等は、以上の理由により被申請人に対して本件解雇無効確認並びに賃金支払請求の本訴を提起すべく準備中であるが、いずれも賃金労働者で賃金を唯一の収入源として生計を維持しているものであるから、本案判決に至るまでその収入を絶たれる場合は、申請人等の生活は維持不可能で、著しい損害を蒙ることになる。よつて本件申請に及んだ。

第三、甲事件についての被申請人の答弁並びに主張

一、申請の理由中、一、の(一)、一、の(二)(但し、一覧表記載の賃金は、労働基準法第一二条規定の平均賃金としてこれを認め、また採用年月日は、昭和二〇年一二月一九日以前のものについては争う)、及び二、の事実、三、の(二)の(1)の事実中、被申請人と松沢炭礦労働組合との間に締結された労働協約第一〇条の規定、同協約第五七条の規定、三、の(二)の(2)の事実中、同協約第一一条の規定がそれぞれ申請人等主張のとおり規定せられていること、三、の(二)の(1)の(イ)の事実中、昭和三八年三月二六日の春斗における団体交渉において、被申請人側より閉山の提案をしたが、組合側の反対等のため、即日右提案を撤回したこと、同(2)の(ロ)のbの事実中、被申請人が申請人等主張のとおりの融資を受けてコンプレツサー一基、ダンプカー一台を購入し、また従業員宿舎一棟を改築したこと(新築ではなく、旧資材を利用してした改築である)等は、いずれもこれを認めるが、その余の事実は、すべて争う。

二、(一) 先ず申請人等は、本件解雇は未だその意思表示がなされていないから不成立であると主張するが、労働基準法第二〇条は、労働者の利益を保護するため、民法第六二七条、第六二八条の特則として、労働者を解雇するに当つては、少くとも三〇日前に解約の申し入れをしなければならないことを定めたに過ぎないものであつて、右予告期間の経過と共に当然雇傭契約は終了し、従つて、その際改めて解雇の意思表示をなす必要はないものと解すべきである。

(二) かりに改めて解雇の意思表示を必要とするものとしても、被申請人は、解雇の予告に従い、昭和三八年六月三〇日松沢炭礦事業場の送炭場控室、坑口前、坑外浴場の壁、工作所の壁、その他一箇所に「全従業員に対し右同日限り雇傭関係は終了したこと、従つて翌七月一日以降の就労は拒否する」旨の通告書を掲示し、且つ従業員宿舎前ほか二箇所に設置したスピーカーを通じてその旨放送し、更に同日組合委員長及び組合員全員に対し書面でこれを通知する等して解雇の意思表示をした。

三、(一) 次に申請人等は、本件解雇は労働協約第一〇条による協議を経ないで行われた無効のものであると主張するが、何等その理由はない。すなわち、

(1)  本件のように閉山に伴う従業員の解雇については、前記協約第一〇条の適用はなく、同協約第五七条に規定する報告だけで足りるものというべきである。すなわち、右協約第一〇条には、解雇を含む人事については、組合と被申請人側との間で協議の上行う旨規定されているが、一方右協約第五七条によれば、松沢炭礦の機構の改革事業の合併分離譲渡等に関する事項は、労資協議会における単なる報告のみで足りるものとされている(なお、同条には事業の廃止の場合については、明規されていないけれども、右列挙事項がいずれも事業の存廃にかかわる重要事項であることからみて、当然右事業廃止の場合も同条第二号の中に包含されているものと解すべきである)。そして、右事業の廃止の場合は勿論のこと、事業の合併、分離、譲渡等についても、従業員の解雇を伴う場合があるにもかかわらず、このような場合における解雇については、同協約中には何等規定されていない。このことは、或いは右のような場合を含む一切の解雇について前記協約第一〇条の適用があることを前提とするものと解し得る余地もないではないが、もしそうであるとすると、一方において協議が成立しなかつた場合、他方における報告は全く無意味なものとなり、同一協約中にこのような矛盾の発生する余地のある規定が併存すると解することは不合理である。むしろ同条は、企業の存続を前提とする通常の場合における解雇について規定したものであつて、前記のように事業の廃止等に伴う解雇については、協約上これに関する規定を欠いているものとみるのが妥当である。従つて、本件の場合においても閉山について労資協議会に報告をしさえすれば足りるのであり、これに附随する従業員の解雇問題については、少くとも前記協約上は、被申請人側にこれを組合との協議に付すべき義務はない。

(2)  かりに、本件のような場合にも、前記協約第一〇条が適用されるものとしても、右規定はいわゆる債務的効力を有するに過ぎず、従つて右規定に違反した場合においても、直接解雇の効力には影響がないものというべきである。けだし、解雇に当つて労資の協議を必要とする旨の定めは、労働組合法第一六条にいわゆる労働条件に該当しないことは勿論、労働者の待遇に関する基準ということもできないからである。これに規範的効力を認める申請人等の見解は、法解釈の限界を不当に逸脱したものである。

(3)  かりに、前記(1)、(2)の主張がいずれも理由がないとしても、被申請人側は、申請人等の所属する組合と協議の上本件解雇をしたものであるから、いずれにしても前記協約第一〇条には違反しない。すなわち、

(イ) 松沢炭礦労働組合の組合運動は、昭和三七年一二月の年末斗争の頃からにわかに過激的破壊的斗争方針をとるようになり、その目的実現のためには、協約も踏みにじり、一方的、且つ強引に自己の主張を押し通そうとする横暴な態度になつてきた。例えば、右年末斗争に際しては、労働協約第七〇条に規定するいわゆる平和義務、並びに同協約第七一条に規定する予告義務に違反して争議を敢行し、これに対する被申請人側の抗議に対しても何等の反省の色もなく、また、翌三八年三月の春斗においても、赤字経営に苦しむ松沢炭礦の経理状態を無視した平均五、〇〇〇円以上の賃上要求を押しつけ、且つその交渉には組合側交渉委員以外にオルグ、組合員、その家族までが大挙して押しかけ、野次喧騒を極わめ、被申請人側交渉委員に対し罵詈雑言を浴びせ、また、被申請人側交渉委員が極度の疲労のため、再団交を主張してもこれを黙殺して十数時間に亘る団体交渉を強いたこともあつた。

(ロ) かくて、被申請人側は、右春斗の最中、赤字経営に苦しむ松沢炭礦の経理状態を考えついに閉山の決意を固めるに至つたが、これは当然全従業員の解雇をも伴うところより、組合側とも十分協議をした上で行うべきものであると考え、<1>、先ず昭和三八年三月二六日の団体交渉の際、被申請人側より同年四月末日を以て閉山したい旨提案したところ、組合側の激しい反対に遇つて、同日は右提案を一応撤回するほかなかつた。<2>、次いで、同年三月二九日の団体交渉の際にも閉山がやむを得ない事情によることを組合側に説明し、<3>、更に、翌三〇日の団体交渉に際しても、貸借対照表、及び合理化事業団の買収基準と買収評価の明細を記載した書類を組合側に交付し、松沢炭礦の窮状と閉山のやむなき事情、石炭鉱業合理化事業団に対し買収申請をしていること等を説明し、閉山に協力するよう要望したが、組合側は、企業の経理については組合側の関知するところではないと放言し、閉山の件については全く耳をかそうともしなかつた。<4>、そして、同年四月二二日春斗が妥結した際にも、被申請人側は、近く閉山問題を提案することを組合側に強調しておいた。<5>、しかし、組合側は全組合員に対し閉山絶対反対を指令し、既に同年四月中旬頃には、閉山絶対反対の声は全組合員の間に充満し、前記春斗妥結後も依然として緊張状態が続き、被申請人側において閉山問題を推進すれば如何なる事態が発生するやも計り知れない情勢にあつた。<6>、そこで、被申請人側は、組合側のこのような態度を緩和するため、全従業員に対し直接事業内容を報告し、窮状を訴えようと考え、同年五月二三日組合に対し重大発表のため従業員大会を開くよう申し入れたが、閉山問題であれば反対であると、これも拒否された<7>、やむなく、被申請人側は、翌五月二四日、組合に対し閉山の件を議題として同月二七日に労資協議会を開催するよう申し入れたところ、組合側は、右閉山交渉阻止の手段として、突然翌二五日被申請人側に夏期手当の要求に合わせてその団体交渉を求めてきた。かくて、同月二七日の労資協議会において、被申請人側は、同年六月三〇日を以て閉山し、同日付で全従業員を解雇するのやむなき事情を組合側に説明し、且つ、その旨の通告書を手渡したが、組合側は、閉山絶対反対を主張してこれを突き返し、更に、夏期手当の先議を求めて譲らず、ついに、同日も物別れに終つた。かくして、被申請人側は、以上のような終始一貫した組合側の閉山反対の態度に昭和三七年末以来の組合側の一方的態度をも合わせ考慮した結果、組合側にはもはや閉山問題については協議に応ずる意思はないものと判断し、昭和三八年五月二八日、文書を以て全従業員に対し同年六月末日限り閉山し、同日限りで雇傭関係を解消する旨の解雇予告をした。

(ハ) 以上の次第で、被申請人側としては、なすべき協議義務は十分尽くした上本件解雇をしたものであるから、本件解雇は、前記協約第一〇条に定める協議を経た上でしたものというべきであつて、何等同条に違反するところはない。

(二) 次に、申請人等は、本件解雇は前記協約第一一条の各号に規定するいずれの解雇事由にも該当しないから無効であると主張するが、この点も何等理由はない。すなわち、

(1)  本件のように事業の廃止に伴う従業員の全員解雇の場合には、協約に特段の規定のない以上、同条は適用されないものというべきである。すなわち、同条は、事業の継続を前提とした通常の場合における解雇の基準を定めたものと解すべきである。このことは、同条各号に列挙された解雇事由それ自体からもうかがい知ることができるほか、前記のような全員解雇の場合には、事業廃止の自由が憲法上認められている以上、これに伴う解雇それ自体については、それが使用者の恣意によるものか否か、その他正当な理由に基づくものか否かというようなことは、全く問題になり得ないこと、また、もしこの場合にも、同条が適用されるものとすれば、事業主において事業の廃止を決定したとしても、一方において解雇につき前記協約第一〇条による組合側の協議が得られない以上、事業の廃止はできないことになりこの点如何にも不合理であること等からも理解できるのである。

(2)  かりに、右理由がないとしても、本件解雇は、赤字経営のためやむなく事業を廃止し、これに伴つて行つたものであるから、前記協約第一一条の規定中に定められた「その他正当な理由」に該当するものである。すなわち、

(イ) 石炭から石油への世界的エネルギー革命の進展に伴い、我が国においても昭和二八年頃より石炭の需要範囲は次第に狭まると共に、その需要量も減少の一途を辿り、更に価格競争の面においても到底石油には対抗していけない現状になつた。すなわち、石炭のエネルギー界において占める比率は、大正年代から昭和二五年頃までの間は、全体の約七〇パーセントを占めていたが、昭和三〇年には約四〇パーセントに、更に同三六年には約二九パーセントにまで低下し、今後も益益低下していく傾向にある。そして価格面においても、石炭は石油に比べてトン当り一、〇〇〇円以上の割高の現状で、しかも石油が今後技術革新と貿易の自由化に伴い一層低廉化されることが予想されるのに対し、石炭はこれ以上の価格引き下げは到底困難な実情で、ことに非能率的な中小炭礦においては、斜陽化どころか崩壊寸前の窮境に追い込まれているのが現状である。

(ロ) 我が国は、こうした石炭業界の危機に対処するため、非能率低位の炭礦を買収閉山せしめ、高能率高位の炭礦につき、一層の設備の近代化を図る目的で昭和三〇年に、石炭鉱業合理化臨時措置法を、更にこうした閉山炭礦離職者の保護を目的として、昭和三四年一二月、同三六年六月には、それぞれ炭礦離職者臨時措置法、雇傭促進事業団法を次々と制定し、石炭鉱業の合理化を強力に推進してきた。その結果、昭和三〇年度から三七年度までの間に年間出炭量合計六、〇〇〇、〇〇〇トンに相当する炭礦が既に閉山し、更に昭和三八年度中には五、〇〇〇、〇〇〇トンに相当する炭礦が閉山される見込みになつている。

(ハ) そして、当松沢炭礦においても、次に述べるとおり赤字の累積は既に企業の限界を超え、販売面においても将来の見込みはなく、生産面においても多くを期待できない現状よりやむなく閉山するに至つたのである。すなわち、

a 当炭礦における昭和三七年度の生産原価は、合計六四、〇〇〇、〇〇〇円(平均トン当り四、五〇〇円)で、これに運賃、販売費用、融資の金利、手形割引料、退職慰労金等を加えた総販売原価は、九三、〇〇〇、〇〇〇円(トン当り六、五〇〇円)であつて、一方、同年度の売上高は、七七、〇〇〇、〇〇〇円(平均トン当り六、〇〇〇円)に過ぎず、また、同年度の貯炭増加高は、五、〇〇〇、〇〇〇円で、結局、同年度の年間欠損金は一一、〇〇〇、〇〇〇円にも上り、これに従来の欠損金を加えると、実に七〇、〇〇〇、〇〇〇円近くの欠損金が累積している実情である。

b また、その販売状況を見るのに、前記石炭業界共通の悪条件に加えて、当炭礦においては、最近塊炭の産出が次第に減少し、その反面粉炭の占める割合が七割を超えるに至つたこと。また、松沢炭は特に硫黄分が多いこと(例えば宇部興産の無煙炭のそれが〇、三パーセントに過ぎないのに対し松沢炭の場合は、二、七ないし二、九パーセントである)等のため、販路は次第に狭くなり、特に昭和三七年頃より販売数量は急激に下降し始め、将来もその回復は到底望めない状況である。

c 更に、当炭礦の生産能率を見るのに、昭和三七年度において、従業員一人当り約一〇トンで、これは同年度の全国平均の約半分にしか達しないこと、また、石炭鉱業合理化事業団関西支部の買収基準が一二〇、五四〇トンカロリーであるのに対し、当炭礦は、約六〇、〇〇〇トンカロリーに過ぎないこと、等の点からみても、当炭礦が如何に低能率炭礦であるかが分るのである。なお、被申請人がダンプカー等を購入し、その他の施設の補強をしたのも、設備の近代化によつて、少しでも生産能率を向上させ、これによつて局面の打開を図ろうとしたためにほかならず、また、昭和三七年に一〇、〇〇〇、〇〇〇円、翌三八年四月に七、〇〇〇、〇〇〇円の各融資を受けたのは、特に炭礦のために認められた緊急金融対策に基づく運転資金としてであつて、これを苦境下にある松沢炭礦の経営切り抜けのために充てたものである。更に、昭和三七年八月頃従業員宿舎の工事に着手したが、これは昭和三四年の台風で大損傷を受けた旧従業員宿舎の旧資材を利用して移築するためにしたものであつて、これも本件閉山を決意した以後は、未完成のまま工事を打ち切つている。

(三) 最後に、申請人等は、本件閉山は組合の壊滅を狙つた偽装閉山であると主張する。しかし、本件閉山及びこれに伴う従業員の解雇が経営の行きづまりによるものであることは既に詳述したとおりであつて、決して組合壊滅のために行つたものではない。また、被申請人が将来事業の再開を全く考慮していないことは、既に昭和三八年二月一一日、前記石炭鉱業合理化臨時措置法による救済を受けるため、石炭鉱業合理化事業団に対して当炭礦の買収の申請をし、同事業団においてその資源調査を行う段階に至つていることからみても明白である。もつとも、閉山後非組合員であつた職員等二二名を残務整理要員として再雇傭したが、これは、当炭礦の各施設の撤去作業、その他閉山に伴う清算事務、前記事業団に対する整理促進手続業務、買収完了に至るまでの鉱山保安業務等を処理せしめるためであつて、右業務の進展に従つて逐次減員することとしているのである。

四、本件仮処分は、その必要性もない。すなわち、

(一)  申請人等のうち、その大部分のものは、現在もなお当炭礦事業場の無料宿舎、或いは、被申請人が賃料を負担している公営宿舎に居住し、浴場施設及びこれに使用する燃料も当炭礦所有のものを無料で使用させており、その余のものは、それぞれ自分の持家に居住している関係で、いずれも住居費の支出は不要である。

(二)  申請人等は、現にそれぞれ閉山当時の平均賃金の六〇パーセントの失業保険金を支給されており、更に、右受給期間終了後においても、右期間と通算して三年間は、雇傭促進事業団法による就職促進手当を受け得ることになつている。

(三)  申請人等のうち、平石孝と平石英子、松本正宗と松本絹枝、松実豊繁と松実あき子、向畑宇吉と向畑いわえ、高橋時雄と高橋フサエは、それぞれ夫婦であり、また東宗一と東きよみは親子であつて、いずれも同一世帯に属し、共稼ぎをしていたものであるから、世帯主一人の収入に頼る一般の場合と比較して、各自が前記失業手当等の支給を受ける点等から考え、生計に影響を及ぼすところも少ない。

(四)  また、双方の受ける損失の点から比較しても、申請人等は、現状のままでも何等著しい損害を受けるものでないことは前記の各事実からも明らかであるが、被申請人の場合は、残存貯炭の処分による収入がわずかあるほかは収入とてなく、その上莫大な負債を抱えてその金利の支払いにも困窮している実情で、もしこの上本件仮処分が容れられることにでもなれば、その損害は到底忍び得ないものがある。

(五)  申請人等は、本件仮処分申請において、閉山当時に遡つて、賃金の支払いを求めているが、申請以前にまで遡つて、これを請求することは、本件仮処分の性質上許されないことである。なお、申請人等の本件申請の真の狙いは、むしろ前記失業保険金等の支給を受けるため、その手続的必要性から行われたものと思われるから、この点からも本件仮処分は許さるべきではない。

第四、乙事件についての申請人の申請の理由等

一、松沢炭礦の沿革については、前記第二、の一、の(一)の記載と同一である。また被申請人組合は、当炭礦の従業員であつたもののうち四一名等を以て組織する労働組合である。

二、申請人は、前記第三、の三、の(二)に記載のとおりの理由により、昭和三八年三月、当炭礦の閉山を決意し、同年五月二八日、全従業員に宛て文書で同年六月末日を以て当炭礦を閉山し、従業員の雇傭契約を解約する旨の予告をし、その頃、右文書は全従業員に到達したので、申請人と被申請人組合の組合員を含む全従業員との間の雇傭関係は、同年七月一日以降は存在しない。なお、これにさき立つ同年二月一一日、申請人は当炭礦の事業再建が至難であるとの見通しより、石炭鉱業合理化臨時措置法による石炭鉱山整理促進交付金の交付を受けるべく、石炭鉱業合理化事業団に対し、当炭礦の鉱業権及び坑道等の買収を申請している。

三、(一) 申請人は、本件閉山後も、右買収手続終了に至るまでは、当炭礦の保安業務及びその他の残務整理をする必要上、当炭礦の旧職員等を再雇傭し、同人等をしてこれを当らせようとしたところ、被申請人組合は、閉山絶対反対を叫び、別紙第一図面中の第一番坑坑口前に、常時七、八名の同組合所属の組合員を配してピケを張り、更に非常の場合には、いつでも三、四〇名の右組合員、及びその家族等を同所に集合させ得る態勢の下に、右整理要員等の入坑を阻止しており、そのため申請人側は、閉山以降現在に至るまで、殆んど右坑内の保安業務は、これを放棄せざるを得ない状況に置かれている。すなわち、

(1)  昭和三八年一〇月二三日、右整理要員等が右坑内の点検のため、右坑口より入坑しようとしたところ、右組合員、その家族及び支援労組員等三〇名位によつて入坑を拒否された。しかしその際は、坑内の点検だけならよいとして、四名の整理要員に限つて入坑を許された。

(2)  右点検によつて坑道が水没し、且つ崩壊箇所もあることが判明したので、翌二四日、右整理要員等が被申請人組合所属のピケ員等に対し排水作業をする旨告げて右坑道に入坑しようとしたところ、排水作業なら自分達にやらせろと、就労を強要して入坑を拒否し、そのため、右作業を断念するほかなかつた。

(3)  同年一一月五日、右坑内の第二中継所のポンプも水没していることが判明したので、右整理要員等は、直ちに右ポンプの引き揚げ及び排水作業のため入坑しようとしたところ、右ピケ員等は、前記同様同人等の就労を強要して入坑を阻止した。しかし、その際は緊急を要する事態でもあつたので、やむなく右ピケ員等三名の随行を認めて入坑せざるを得なかつた。

(4)  同月九日、整理要員等が右ポンプを整備の上、排水作業をするためこれを坑内に搬入しようとしたところ、坑口前で右組合員等三、四〇名がピケを張り、同人等のうち六名に入坑の業務命令を出さない限り入坑をさせないといつて強硬に入坑を阻止し、結局入坑を断念するほかなかつた。

(5)  同月一二日、申請人側は、これ以上排水作業を延引させては、坑内が水没し去る危険があるところより、強行入坑を決意し、先ず右坑口前のピケ員等三、四〇名に対し即時坑口前より退去し、申請人に対する業務妨害を中止するよう要望したが、同人等はこれを拒否し、更に整理要員等が入坑しようとすると、これを実力行使によつて頑強に阻止したため紛争状態となつた。そこで申請人側は、やむなく警察官の出動を要請し、これに応じて約三〇名の警察官が出動し、右組合のピケ員等に対し退去を極力説得した結果、漸く整理要員四名のみの入坑が認められた。

(二) 更に、前記合理化事業団による鉱業権及び坑道等の買収を受けるについては、これらの評価のため、前記図面中の朱線を以て囲む区域の事業場において、同事業団による現地調査を受ける必要があるが、前記のような被申請人組合ないしその所属組合員等のこれまでの態度からみて、右のもの等は、将来右事業団による現地調査が行われる場合にも右区域の坑内外においてこれを妨害する虞れのあることもまた明白である。

(三) そして、被申請人組合には、従来よりその上部団体である紀南地区労働組合協議会の強力な支援があり、ことあるごとにその傘下労働組合員等が一〇〇名以上も応援に馳せ参じている現状からみて、これら第三者もまた被申請人組合所属の組合員等と今後も行動を共にするであろうことは、十分予測できるところである。

四、申請人は、当炭礦の鉱業権者であり、これに基づき前記図面中の朱線で囲まれた鉱区内の坑道につき、占有権を有すると共に、右鉱区内における坑内外の機械器具その他の施設の所有権者(但し、坑外の土地の一部は賃借地)であり、且つ、その占有権者でもある。従つて、右組合員等が前記の如く申請人側の入坑を拒否し、申請人の坑道に対する占有並びに坑内諸施設に対する所有権の行使を妨害している以上、これが排除を求め得べきことは当然であり、また今後もその虞れがある以上、これが予防のための措置をも求め得べきである。更に、右組合員等が前記合理化事業団による現地調査を妨害することは、すなわち、申請人の有する鉱業権の処分それ自体の妨害につながるものであり、また、右第一番坑内において、これを妨害すれば、申請人の右坑内に対する占有権の妨害にもなる。従つて、将来被申請人組合所属組合員、その家族、その他の支援労組員等によつて右のような妨害が行われることが十分予測できる本件においては、右鉱業権及び占有権に基づいて、これが予防のための措置を求め得べきことも明らかである。そして、右組合員等による以上のような妨害行為は、明らかにピケの限界を越えるもので、本件解雇の有効、無効にかかわらず許さるべきではない。

五、そして、申請人の前記権利が早急に保全さるべき必要性のある事情は、次のとおりである。

(一)  申請人側が昭和三八年一〇月二三日に調査したところでは、別紙第二図面記載の第一番坑本卸坑道では、出水により最深部から約二四〇米の地点まで坑道が水没し、且つ、二箇所が崩壊していることが、また翌一一月五日の調査では、更に、約三〇米増水し、第二中継所のポンプまで水没していることがそれぞれ確認され、このまま放置する場合は、全坑道が水没することは勿論、坑木の老朽化に伴う落盤または崩壊、通風不良によるガス発生等を惹起することは明白である。すなわち、右坑木は、坑道の側壁の崩壊等を防止するため設置されているものであるが、その耐久年数は約三、四箇月ないし一年位で、絶えず、点検の上これを取りかえる必要がある。しかるに、最後に右坑道の坑木を整備したのは、同年五月頃であるから、早急にその整備をしなければならない状態にある。従つて、右のような状態がこれ以上続く場合は、坑道は勿論、坑内の送電、トロ、軌条、ポンプ、巻揚機等の諸施設及びその資源等は荒廃に帰し、申請人の有する鉱業権は致命的な損害を蒙ることになり、その結果は、前記合理化事業団によるその査定の上でも著しい不利益を受けることは必定である。また、右事業団の現地調査それ自体も、右坑内の保坑が完了しない以上実施できないのが現状である。

(二)  更に、申請人は、前記合理化事業団より、現地調査を行うから、これを順調円滑に実施し得る時期を知らせるよう再三照会を受けているのであるが、前記のようにこれについても組合員等による妨害が予想される現状では、その確たる時期を返答することもできず、これまで既に五回に亘り調査の延期方を要請してきており、もはやこれ以上の延期を求めることは、極めて困難な情勢におかれている。従つて、早急にこれに対する予防の措置を講じなければ、現地調査の実施も危ぶまれ、ひいては、前記交付金の交付も受けられない結果になり、かくては、財産上著しい損害を蒙ることになる。

六、なお、被申請人組合が後記第五、の三、の(二)において主張する石炭合理化事業団業務方法書にその主張のような規定があることは認めるが、労働組合の同意書がない限り事業団の現地調査が行われないとの点は否認する。すなわち、右同意書を必要とすることは、何等法的根拠に基づくものではなく、過去にこの種の現地調査において紛争を生じた例があることに鑑み、調査を円滑に実施できるよう便宜事業団において右のような方法を定めたに過ぎないものであつて、本件仮処分命令が発せられるにおいては、右同意書は、何等これを必要とするものではないのである。

第五、乙事件についての被申請人組合の答弁並びに主張

一、申請の理由中、前記第四、の一、の事実、同二、の事実中、申請人主張の日時に申請人より全従業員に対しその主張の日時を以て当炭礦を閉山し、且つ全従業員を解雇する旨の予告がなされたこと、同三の事実中、被申請人組合が右閉山並びに従業員の解雇に反対し、昭和三八年七月一日以降スト権を確立し、その上部団体である総評傘下紀南労働協議会の支援の下に右撤回斗争を行つていることはいずれも認めるが、その余の事実はすべて争う。

二、本件閉山は、被申請人組合の壊滅を狙つた偽装のもので、これに伴う従業員の解雇も不当労働行為として無効である。その理由は、前記第二、の三、の(二)の(3)に記載するとおりである。そして、本件仮処分申請もまた前記不当労働行為の一環として、被申請人組合を脅し、組合の団結を切り崩す意図の下に行なわれたもので、かかる申請は、権利の濫用として却下されるべきである。

三、かりに、右理由がないとしても、本件においては、申請人が主張するような被保全権利も保全の必要性もない。すなわち、

(一)  被申請人組合としては、未だかつて一度も申請人側の坑内保安作業を妨害したことはない。むしろ、生産再開に備えて、いつでも就労可能な状態に坑内が整備されていることは、組合自身がこれを切望し、常々申請人側に申し入れていたぐらいで、このことは、組合の前記斗争の目的が閉山反対、生産再開にあることから考えても自明のことである。従つて、第一番坑口における組合員等のピケの目的も、右要求に基づく就労要求のデモンストレーシヨンの意味を持つに過ぎない(もつとも、昭和三八年一〇月二三日以降は、後記の如く、申請人側が坑内外の諸施設撤去の意思をも明らかにしたので、これを防止する目的をも持つに至つた)のであつて、且つその方法、手段についても、組合員は、各自のポケツトに手を入れるか、前に手を組むかして、専ら言論による説得で臨み、絶対に実力行使はしないという方針を立て、これを実行してきたのである。なお、申請人は、組合側が就労を強要して入坑を阻止した旨主張するが、これは、前記就労要求の一環として当面保安作業につき、これを要求しているのであり、組合員を使用しなければ保安作業は絶対させないという趣旨ではないのである。すなわち、

(1) 昭和三八年一〇月二三日、被申請人組合が申請人側の坑内点検のための入坑を阻止した事実はない。もつとも、当日は申請人側が坑内外の諸設備を撤去する旨の告示書を掲示したため、入坑目的を質し、もし、右撤去のためであれば、説得によつてこれを阻止する態勢をとつたことはある。

(2) 翌二四日にも申請人側は入坑できなかつたと主張するが、これも事実に反する。当日申請人側は入坑してビニール送水管の修理を行い、前日修理を終つたポンプで排水作業を行つている。

(3) 同年一一月五日申請人主張のポンプが水没していたことはあるが、これはその前日の停電によるものである。

(4) 同月九日申請人側がポンプを坑内へ搬入しようとした事実はなく、従つて組合側がこれを阻止した事実もない。

(5) 同月一二日組合側が申請人側の入坑を実力で阻止したことはない。かえつて申請人側が無抵抗の組合員等に殴り込みをかけて紛争を挑発し、且つ、組合側を弾圧するためあらかじめ待機させていた数十名の警察官をことさらに出動させてきたため、紛争状態になつたのである。

(二)  更に、申請人主張の合理化事業団による現地調査も、被申請人組合の同意がない限り、事業団としてはこれを行わない扱いになつている。すなわち、石炭合理化事業団業務方法書第三章第一節第三九条には「交付申請書に次に掲げる事項を記載した書面および次項に規定する念書を添付して提出する」こととあり、同条第四項で「事業団は第一項および第二項の規定に基づいてその申請を受理したときは次に掲げる事項を記載した書面を事業団が指定する期限までに採掘権者から提出させるものとす」とし、同項第一一号に「調査に関する労働組合の同意書」と規定されているのである。そして、被申請人組合としては、右同意をしていないのであり、今後もその意思は毛頭ない。従つて、将来同事業団による現地調査が行われることは全く考えられないのであるが、かりに、これが行なわれるとしても、組合側がこれを妨害するものと推測するに足りる事情は何もないのである。また、被申請人組合は、従来一度もその所属組合員または第三者を第一番坑坑内へ立ち入らせた事実もない。

(三)  以上の次第で、申請人にはその主張するような妨害排除請求権、或いは妨害予防請求権等は存在しないのである。

(四)  更に、右権利保全の必要性がないことも次のとおり明らかである。すなわち、

(1) 申請人側は、昭和三八年一〇月二三日の坑内点検により、坑内に崩壊箇所があることを確認し、また坑木等の整備を早急にする必要があると主張しながら、これが可能であるにもかかわらず今日に至るまで何等の対策も講じていない。

(2) 同年一一月一二日申請人側は、坑内に排水ポンプを設置しようとして自らの不手際でこれに失敗したが、その後排水のための措置は何等とつていない。

(3) 同年一二月二〇日頃申請人側は、自らの手で電源を切断してしまい、これによつて坑内保安作業を続ける意思のないことを自ら表明した。

以上の如く、坑内の水没も申請人自ら招いたものであるから、これを以て保全の必要性の理由とすることは許されない。なお、申請人は、申請の趣旨第三項において、執行吏による公示その他の適当な措置をも求めているが、一般に単純な不作為を命ずる仮処分命令は、それが相手方に告知され、相手方に心理的拘束を与えることによつてその目的を達するのであるから、更に右のような執行吏による措置を求めることは無意味であり、全く必要のないことである。

第六、疎明関係<省略>

理由

第一、甲事件についての判断

一、被申請人は、昭和二〇年一二月頃、和歌山県東牟婁郡熊野川町宮井一二五番地附近一帯の石炭の採掘を目的とする鉱業権を取得し、同月二〇日頃より同所において松沢炭礦という名称の下に無煙石炭の採掘販売業を営み、申請外金谷春雄をその鉱業代理人として、その運営管理に当らせていたものであること、申請人等は、いずれもその主張のように被申請人にその従業員として雇われたものであり、且つ同人等で構成されている松沢炭礦労働組合(閉山当時の組合員数は、一二三名)の組合員であること、被申請人は、昭和三八年五月二八日申請人等を含む全従業員に対し、経営不振を理由に、同年六月三〇日限り同炭礦を閉山(事業廃止)すると同時に全従業員を解雇する旨の予告をしたこと、及び被申請人は、同年七月一日以降同炭礦を閉山し、同日以降は申請人等が労務を提供するにもかかわらず、これらを従業員として取り扱わず、且つ賃金の支払をしないこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二、先ず、申請人等は、本件解雇は、単に解雇の予告がされただけで、解雇の意思表示がされていないから未だ不成立であると主張する。

しかしながら、被申請人が昭和三八年五月二八日申請人等を含む全従業員に対し同年六月三〇日限り解雇する旨の予告をしたことは、当事者間に争いのないこと前記のとおりであるところ、成立に争いのない甲第一号証、乙第一六号証に証人金谷春雄の供述(第一回)を合わせ考えると、被申請人は、これによつて申請人等との間の雇傭関係を終了せしめる意思を表明したものであることが疎明される。そうだとすると、被申請人のしたこの解雇の予告は、労働基準法第二〇条所定の三〇日以上の予告期間を置き、且つ、雇傭契約の終了すべき日を明確に示して、解雇を予め告知したものであることが明らかである。そうすると、このような解雇の予告がされた限り、これによつてその予告期間の満了と同時に当然に解雇の効力を生ずるのであつて、このような場合に解雇の効力を生ぜしめるために改めて解雇の意思表示をする必要はないものと解すべきであるから、申請人等の右主張は、これ以上判断するまでもなく理由がない。

三、次に、申請人等は、本件解雇は、労働協約第一〇条による協議義務に違反して行われたものであるから無効であると主張する。

そこで、先ず本件のように閉山に伴う従業員の全員解雇の場合においても、同協約第一〇条の適用があるかどうかについて考える。

なるほど、成立に争いのない乙第一四号証(同協約書)によれば、同協約第一〇条には、「本協約で人事とは採用、解雇、退職、休職及びこれに準ずる一切の措置をいい、松沢炭礦(被申請人)と同炭礦労働組合とが協議の上これを行う」旨規定され、更に同協約第六章は労資協議会と定められ、同章中の第五五条には、「松沢炭礦(被申請人)及び同炭礦労働組合は事業の正常な運営発展をはかるため双方より八名宛の委員を選出して労資協議会を設置する」旨、また、同じく同第五六条には、「労資協議会に付すべき事項は左のとおりとする」として、その第三号に、「従業員の異動、解雇、賞罰に関する事項」とそれぞれ規定され、更にまた、同章中の第五八条以下には、同協議会の開催、委員の選定及び議事の方法等に関する事項がそれぞれ規定せられていることが明らかであり(もつとも、同第一〇条に右のとおり規定せられていることについては当事者間に争いがない。)、従つて、これらの規定に同協約全体の趣旨を参酌するときは、被申請人が従業員を解雇する場合には同協約第一〇条の規定に基づいて前記労働組合と協議することを要するのであり、しかも、この協議は、同協約第五五条の規定によつて設置せられた労資協議会において同協約第五八条以下の規定に従つて行うべきものと解せられるのである。

ところで、前記乙第一四号証によつて明らかなように、同協約上には事業廃止の場合並びにこれに伴い全従業員を解雇する場合については何等明規するところがないので、本件のような閉山に伴う全従業員の解雇の場合にも前記の同協約第一〇条等の規定が適用されるのかどうかが問題となるのである。

そこで、前記乙第一四号証の同協約書を検討してみると、同協約第五六条には、労資協議会に付議すべき事項は左のとおりとするとして、その第一号には、賃金規則並びに就業規則その他必要な諸規定の制定並びに改定に関する事項と、第二号には、同協約第二一条、第二二条、第二四条に関する事項と、第三号には、従業員の異動、解雇、賞罰に関する事項と、第四号には、災害防止、保安その他作業環境の改善に関する事項と、第五号には、作業の研究、技術の改善、労働能率の向上に関する事項と、第六号には、生活物資の確保並びに配給に関する事項と、第七号には、予防衛生、浴場、住宅、寮舎その他福利厚生に関する事項とそれぞれ規定され、また、同協約第五七条には、松沢炭礦(被申請人)は左の事項については協議会において報告するものとして、その第一号には、生産計画及びこれを実行するために必要な人事及び作業計画に関する事項と、第二号には、松沢炭礦の機構の改革、事業の合併、分離、譲渡等に関する事項とそれぞれ規定されているので、同協約全体の趣旨を参酌しながらこの両規定の趣旨について考えてみると、同協約第五六条は、事業の存続を前提としてその正常な運営発展をはかるため、賃金規則、就業規則等諸規則の制定及び改定に関する事項、作業日時の決定に関する事項、従業員の異動、解雇、賞罰に関する事項、作業環境の改善に関する事項、生産技術の研究改善等に関する事項、福利厚生に関する事項等主として従業員の労働条件に関する事項については、組合の意思を反映せしめる必要があるとしたところから、組合にいわゆる意思参加(あるいは経営参加)を認めることとして労資協議会における協議事項と定めたものであるが、同第五七条は、生産計画及びこれを実行するために必要な人事及び作業計画等に関する事項については、もともと事業の所有者自ら或いはこれに代つて事業を指揮監督するものがその責任と権限とにおいて事業経営の最高方針として決定すべき事項であり、また事業の機構改革、合併、分離、譲渡等に関する事項については、主としてこれが事業の処分を内容とするものであつて、本来その処分権限を有する事業の所有者が自らの責任と権限とにおいて決定すべき専権事項であるとしてこれらの事項については組合の意思を反映せしめるのは適当でないとして組合のいわゆる意思参加(あるいは経営参加)を認めず、専ら労資協議会における報告事項としたものであると解せられるのである。

そこで、右のような観点に立脚して前記両規定に証人金谷春雄の供述(第一回)を合わせ考えると、本件のような閉山(事業の全面的廃止)については、事業の所有者である被申請人が自らの責任と権限とにおいて決定すべき専権事項であり、(もつとも、その濫用が許されないことはいうまでもないが)、従つて、この閉山に関する事項については、同協約上は、前記第五七条第二号の場合に準じて労資協議会における報告事項であると解すべきであり、そして、また、この閉山に伴う全従業員の解雇については、その解雇が従業員の最大の待遇の変更であり、従つて、形式的には同協約第五六条第三号所定の解雇に該当するものと一応は考えられないことはないけれども、同条に規定する解雇とは、主として事業の存続を前提とし、且つ、その解雇について組合の意思を反映せしめるべき場合であること前説示のとおりであつて、本件のような閉山に伴い全従業員を解雇する場合においては、その解雇は閉山の必然的な結果であつて同閉山と密接不可分的な関連を有するのが通例であり、しかも、この間に事業主の恣意の介入する余地は認められないのであり、従つて、このような場合における解雇には閉山の場合と同様組合の意思を反映せしめるのは相当でないと解するのが妥当であるから、本件閉山に伴う全従業員の解雇自体については、右閉山の場合におけると同様同協約上は、前記第五七条第二号の場合に準じて労資協議会における報告事項であると解するのが相当である(もつとも、事業の一部の廃止ないし処分の場合における従業員の一部解雇の場合については別に論ずべき余地はあろうが、この点については暫らく措く。)。そして、このことは、同協約第五七条第一号によれば、生産計画及びこれを実行するために必要な人事も労資協議会における報告事項とされていることに徴してもこれを裏付けることができよう。

そうだとすると、本件閉山に伴う全従業員の解雇については、労働協約上は被申請人において同協約第一〇条に定められた協議を経る必要はないものといわなければならない(もつとも、本件解雇については、同協約上では右のとおり組合との協議は要しないとはいえ、従業員の待遇に重大な変更をきたすものであるから、互いに誠意をもつて十分話し合いをするのが徳義上望ましいことはもちろんである。)から、この協議を必要とすることを前提とする申請人等の右主張は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四、次に、申請人等は、本件解雇は、前記協約第一一条に規定する如何なる解雇理由にも該当しないから無効であると主張する。

そこで、同条もまた事業廃止に伴う従業員全員の解雇の場合においても適用があるかどうかについて考える。

同協約第一一条には、従業員は左の各号の一に該当する場合の他正当な理由なくしては解雇されることはないとして、その第一号から第五号までに已むを得ぬ業務上の都合による場合その他が列挙されてその解雇事由が規定せられていることは当事者間に争いがない。

ところで、同条は、その第一号から第五号までに列挙する解雇事由のある場合のほか正当な理由なくして従業員を解雇することを制限するために設けられた規定であると解すべきことは申請人等の主張するとおりであるけれども、同協約上、事業の廃止は、事業の所有者である被申請人が自らの責任と権限とにおいてなすべき専権事項であると解すべきであり、従つて、また、これに伴い全従業員を解雇する場合には、同協約第一〇条の適用はなく、労資協議会の協議の対象外であると解すべきであること前説示のとおりであり、しかも、前記協約書によつても事業の廃止を制限した規定は全くなく、また、事業の廃止に正当事由を要するとまでは到底解せられない(これが全く濫用に亘らない限り、近代企業の社会的性格を考慮に入れても)こと等に同協約全体の趣旨及び証人金谷春雄の供述(第一回)を参酌して考えると、被申請人が本件のような閉山に伴い従業員の全員を解雇する場合にも尚且つ同協約第一一条で自己の有する解雇権を右のように自ら制限したものであるとは到底解せられないのであつて、同条は、事業の存続を前提とし事業の継続中における平常の場合において同協約第一〇条の規定の適用があるような個々の従業員を解雇する場合(よし、これが人員整理等による大量解雇の場合であつても同断であるが)における解雇事由を限定したものであると解するのが相当である。

そうだとすると、本件閉山に伴う全従業員の解雇については同協約第一一条の規定の適用はないものと解しなければならないから、この規定の適用のあることを前提とする申請人等の右主張もまたその余の点について判断するまでもなく理由がない。

五、次に、申請人等は本件閉山は、組合壊滅を狙つた偽装のものであり、これに基づく従業員の解雇は、不当労働行為として無効であると主張するので、以下この点について考える。

(一)  そこで、先ず松沢炭礦の経営の実態について検討してみる。

(1) 先ず初めに、我が国における石炭鉱業界の一般的な景気の概況についてみてみるに、成立に争のない乙第一、二号証に証人金谷春雄(第一回)、同戸木田嘉久及び同和田末治の各供述を合わせ考えると、石炭から石油へのいわゆる世界的なエネルギー革命の進行は、昭和二八年頃より我が国の石炭鉱業界にも漸くその影響を及ぼし始め、例えば、国内炭の第一次エネルギーにおいて占める需要の割合は、昭和三〇年度に四〇パーセントであつたのが、昭和三六年度には、二九パーセントにまで低下する等、最近特に急激な低下傾向を見せており、この傾向は、今後も当分は変らない見通しであること、また価格面においても、石炭は到底石油に対抗できない現況で、年々値下り傾向にあること、そして、このような石炭鉱業界の実情に対処するため、政府は、昭和三〇年石炭鉱業合理化臨時措置法を制定し、同年九月一日よりこれを施行し、低能率炭礦の買収閉鎖その他の炭礦合理化の諸策を次々と実行に移し、その結果、昭和三〇年度より三七年度までの間に年間出炭量合計六〇〇万トンに相当する炭礦が事業を閉鎖するに至つたこと等が一応認められる。しかし、一方前記証人戸木田嘉久、同金谷春雄(第一回)の各供述に同横川治三郎の供述を合わせ考えると、同じく石炭でも、無煙炭に関する限りは、一般にその需給関係は安定し、ことに良質炭は国内でも不足し、一部はこれを輸入に依存している状況であり、その価格も昭和三五年から三八年にかけては殆んど変動が見受けられない状態にあることが一応認められ、他に右認定をくつがえすに足りる疎明資料はない。

(2) そこで、次に同炭礦における損益の状況について考えてみる。

1(イ) 証人和田周二の供述(第一回)によつて一応その成立を認め得る乙第三号証、同金谷春雄の供述(第一回)によつて一応その成立を認め得る同第一六号証等に同証人等の供述を合わせ考えると、もと同炭礦の経理課長兼営業課長であつた和田周二が昭和三八年六月四日同炭礦労働組合に対する説明の資料として作成した業績一覧表(乙第三号証)、並びに同鉱業代理人の金谷春雄が同年五月二七日付で作成した右組合執行委員長宮本留雄宛の通知書(乙第一六号証)等には、いずれも同炭礦の欠損額は、昭和三二年度までの合計が一六、〇〇〇、〇〇〇円、昭和三三年度ないし三七年度までの分は、それぞれ四、〇〇〇、〇〇〇円、一〇、〇〇〇、〇〇〇円、四、九〇〇、〇〇〇円、四、三〇〇、〇〇〇円、一一、〇〇〇、〇〇〇円、昭和三八年一月ないし五月までの分は、一〇、〇〇〇、〇〇〇円、退職金追加分が六、五〇〇、〇〇〇円の総額六六、七〇〇、〇〇〇円(但し、右通知書には、昭和三八年度分の欠損額として、推定見込八、〇〇〇、〇〇〇円、退職金追加として六、〇〇〇、〇〇〇円)とそれぞれ計上されていることが一応認められる。

(ロ) ところが、右和田周二の供述(第一回)によつて一応その成立を認め得る乙第八号証の一ないし九によれば、同人が作成した同炭礦の昭和三七年度決算書中、貸借対照表、損益計算書等には、いずれも同年度の損失金は、七、五〇九、九〇八円と計上され、また証人和田末治の供述によつて一応その成立を認め得る甲第一一号証に同証人の供述を合わせ考えると、被申請人側提供の資料に基づいて同証人が作成した松沢炭礦調査報告書(甲第一一号証)中第五表の貸借対照表には、昭和三三年度ないし三七年度までの同炭礦の損失金としてそれぞれ二、三〇六、四六〇円、五、一一六、四九六円、二、二九二、八八九円、二、〇七二、五一三円、七、五〇九、九〇八円と計上されていること等が一応認められ、

(ハ) また、成立に争いのない乙第二五号証、証人有岡定行の供述によつて一応その成立を認め得る同第二六号証、第二七号証、第二八号証の一、第二九号証の一に同証人の供述を合わせ考えると、いずれも前記(ロ)の貸借対照表その他の決算書類に基づいて被申請人側において作成の上高松税務署に提出した昭和三四年分、同三五年分の各所得税の修正確定申告書には、被申請人の関与する営業(同炭礦及び旅館重富荘)に関する右各年分の修正確定申告額は、それぞれ五、一九四、二九〇円、一、九一〇、三二五円の各損失と計上され、また、昭和三六年分、同三七年分の各所得税の確定申告書には、同炭礦に関する右各年分の確定申告額としてそれぞれ二、〇七二、五一三円、八、二〇三、〇四四円各損失と計上されていること等が一応認められ、

(ニ) 更に、成立に争いのない甲第六号証の一ないし七、第七号証の一ないし七、第八号証の一ないし四等によれば、被申請人が昭和三五年、同三七年、同三八年の三回に亘りそれぞれ中小企業金融公庫から金融を受けるに当り、同公庫に借入申込書添付書類として提出した昭和三二年度ないし三七年度の貸借対照表、損益計算書等には、右各年度分の損益としてそれぞれ一八、五八五、九九八円、一、九二五、九一六円、四、一七二、六七四円、四、八九七、四三三円、八、三九六、九七九円、八、七九九、六六六円の利益と計上されていることが一応認められるのである。

そして他に前記(イ)ないし(ニ)の各認定事実を左右するに足りる疎明資料はない。

2 以上認定の事実からすると、同炭礦の欠損額は、前記(イ)、(ロ)相互間において、各年度を通じ約二倍前後の相異が、また、(ロ)、(ハ)相互間においても昭和三六年度分を除き、各年度を通じかなりの相異が認められるほか、(ニ)に至つては、逆に各年度を通じ相当額の利益が計上されているのである。

3 そこで右のうちいずれを信用すべきかについて以下検討を加える。

先ず(イ)、(ロ)間の相異について。証人有岡定行は、(イ)については、退職引当金が含まれ、且つ計算方法について売価還元法を採用し、また多少見込数字的に作成されており、(ロ)については、退職引当金が含まれておらず、且つ計算方法について、総平均法が採用されているためであつて、いずれも欠損額の計算としては、間違つていない旨供述しているのであるが、(イ)の業績一覧表、並びに通知書等に記載された数字については、これを裏付けるに足る計算書類等は何もないのみならず、前記のとおり(ロ)との間の相異が二倍前後にも及ぶこと、また右(イ)の書額は、前記のとおりいずれも本件閉山に当り労働組合に対する説明のために特に作成されたものであること等の事情を合わせ考えると、(イ)の書類の欠損部分の記載及びこれにそう右有岡定行の供述並びに前記証人金谷春雄(第一回)同和田周二の各供述は、そのままにわかに信用することはできないのであり、結局、被申請人主張の欠損額は、そのままには信用し難い。

次に(ロ)、(ハ)間の相異について。証人有岡定行の供述によれば、昭和三四年度分、三五年度分の各差額は、いずれも被申請人経営の旅館重富荘の営業損益が加算されることによつて生じたものであることが一応認められる。しかし、昭和三七年分については、同証人は、その差額分に相当する非課税所得を控除して申告したため生じたものである旨供述しているのではあるが、この点に関しては、証言内容もあいまいで直ちに信用することはできない。このように、(ロ)、(ハ)間については、昭和三七年度分に関する限りは若干疑問は残るが、いずれにしても大して大きな差額ではないのであるから、同年度分の申告書が、(ロ)の貸借対照表に基づくものでないとまではいいきれないであろう。問題はそれよりも(ロ)、(ハ)等と(ニ)とのいずれをより信用すべきかということである。

そこで、まず、(ロ)と(ニ)との各年度の貸借対照表についてそれぞれ同年度のそれの各項目の金額を比較検討してみるに、その大半は一致しているのであるが、一部項目は、上一桁ないし三桁位の数字を入れ代える等の方法で故意にいずれか一方の数字を操作していることは、その記載自体から明白である。しかし、いずれの貸借対照表が真実の、或いはそれに近いものであるかは、原始記録によつてこれを照合検討してみない以上、これだけからでは、直ちに判断し難いのである。しかしながら、証人有岡定行の供述によれば、(ハ)の各所得申告のうち、昭和三四年度、三五年度分については、いずれも昭和三七年に行われた国税局の調査で適正と認められて納税額も確定したこと、また、昭和三六年度、三七年度分についても、調査は行われていないが、国税局において申告がそのまま是認されたことが一応認められるのであり、また一方前記(ニ)記載の各甲号証に証人尾嶝博の供述を合わせ考えると、(ニ)の貸借対照表その他の決算書類についても、前記公庫の代行機関たる紀陽銀行新宮支店において、厳密に調査が行われ、その結果金融が行われたものであることも一応推認し得るのである。ところで、同一事業の同年度の決算書類が提出先によつて相当恣意的に操作される余地のあることは、証人森川博の供述によつても一応認められるとしても、前記(ロ)と(ニ)におけるが如く、損益の全く逆な、しかも、その間に相当な数字の懸隔のある決算書類が、同時に税務署及び金融機関によつて受け容れられるということも常識上理解に苦しむところであり、また、赤字続きで事業を続けられる筈はないという考え方も、一応もつともではあるが、一般に、金融機関と税務署とでは、その調査目的の相違から、調査の重点、その対象も自ら異つていること(換言すれは、当該企業の或る年度の所得の有無、その金額如何は、前者においては、あくまでも、融資の返済能力の有無の判定の一参考資料としての意味を持つに過ぎず、むしろ確実な物的担保、或いは個人の信用に重きが置かれるといつてもよい〔ちなみに、成立に争いのない甲第七号証の六に証人有岡定行の供述を合わせ考えると、被申請人は、同炭礦の鉱業権者であるほかに、公職関係では、郵政大臣、参議院副議長を経て、現に参議院議員の職にあり、事業関係でも、西日本放送KK、西日本観光KK、国際観光ホテルKK、有限会社田村食堂、KK重富荘、KK南明座、九州ホテルKK等の実質的経営者ないしは株主であることが一応認められる。〕のに反し、後者においては、その確定自体が目的となつているのであり、従つてこれ等の点に関する限りは、後者は前者に比べ、証拠資料の蒐集もより広範に、その検討もより詳細に行われるのが通常であると考えられる)、また収税官吏には、所得税法等で質問、検査等の権限が認められ、かつ不正申告等に対しても厳重な罰則の適用が認められているのであり、このようなそれぞれの調査の性格の相違に、前記の如く無煙炭業界の需給は、一応安定しているとはいうものの、従来の諸物価の高騰ぶりに比べ、その炭価は殆んど横ばい状態にあること、また証人金谷春雄(第一回)、同和田周二(第一回)の各供述によると、石炭鉱業合理化事業団西部支部の低能率炭礦の買収基準が約一二〇、五四〇トンカロリーであるのに対し、松沢炭礦の場合は、昭和三七年度で約六〇、〇〇〇トンカロリーに過ぎず、生産能率も非常に低いことが一応認められること等の事情を合わせ考えると、前記(ロ)、(ハ)等の欠損額そのものは、後記のとおり決してそのままには信用し難いところがあるけれども、やはり同炭礦における昭和三四年ないし三七年当時の経理状態は、少くとも、いわゆる赤字経営であつたことだけは一応これを認めざるを得ないのである。

証人金谷春雄の供述によると、昭和三七年中に一部古材を利用して従業員宿舎一棟(七戸建)の建築に着手したことが一応認められ、また、成立に争いのない乙第二〇号証の二に申請人本人宮本留雄の供述を合わせ考えると、昭和三八年の春斗において、組合側が提出した<一>組合員全員に対し一律月額五、〇〇〇円(日額二〇〇円)の賃上<二>坑内夫の入坑危険手当一律月額五、〇〇〇円引上げ、(日額二〇〇円)<三>特技者の稼働本番を八〇〇円に引上げ、<四>臨時夫の本採用<五>坑外夫の出勤賞与条件を坑内と同等にすること等五項目の要求に対し、団体交渉の末、同年四月二二日被申請人側は、<一>については、日額一五〇円の引上げ、<二>については、日額八〇円の引上げ、<三>については、各職種によつてその引上げ率は異るが、それぞれ相当額を引上げ、<四>、<五>については全面的にこれを容れ、且つ同年三月一日に遡つてこれを適用することで妥結に至つていることが一応認められるところ、以上の点について証人金谷春雄(第一回)は、従業員宿舎を建築したのは他にも空家はあるものの、出来るだけ従業員に良い住宅に入つて貰いたいためであると供述しているのであるが、一部古材を利用するにしても、七戸建一棟の建築には相当の資金が必要な筈であり、しかもそれが緊急に必要な工事であるとの疎明もないのであるから、右は、前記(ロ)、(ハ)に記載するような膨大な欠損金を抱えた企業のやり方としては直ちに納得し難いところであり、また、証人和田周二の供述(第一回)によると、前記春斗の際同炭礦が大幅な賃上を認めたのは、従業員の離職後における失業保険金等の受給を有利にしてやるための親心と、閉山問題を将来円満に解決したかつたためであると供述しているのであるが、前記宮本留雄、金谷春雄(第一回)の各供述によると、右交渉妥結に至るまでは、同年三月一六日以来何回となく団体交渉を開き、紆余曲折を経てようやく右妥結に至つたことが一応認められるのであり、しかも、前記の如くその妥結の結果を同年三月一日に遡らしめていること等を考えると、前記和田の供述部分は、容易に信用することはできないのであり、また、かりに同証言のとおりだとしても、前記のような欠損金に喘いでいる企業のやり方としては全面的に納得することができないのであつて、これら認定の事情に証人森川博、同横川治三郎、及び同尾嶝博(但し、同証人の供述中、同炭礦の紀陽銀行等に対する預金額に関する部分は、にわかにこれを信用することはできない。)の各供述を合わせ考えると、前記(ロ)或いは(ハ)記載の欠損の額は、到底これをそのままには信用し得ないのである。

(3) 次に、松沢炭の販売状況について考える。被申請人の主張する石炭業界共通の悪条件も、無煙炭については、一般的には需給も安定していて、その価格も昭和三五年から三八年にかけ殆んど変動が見受けられないことは前記のとおりであるが、そうだからといつて、無煙炭の生産販売業者が例外なく順調にその経営を続けているともいえないのであつて、それぞれの企業の特殊事情を考慮に入れてこれを検討しなければならない。そこで、以下同炭礦についてこれを検討する。証人金谷春雄(第一回)、同和田周二(第一回)、同横川治三郎、及び同土居商作の各供述を合わせ考えると、松沢炭は、元来硫黄の含有量が二、五パーセントないし三パーセントという程で硫黄分の多いことでは全国的にも最高部類に属しているが(この点に反する証人戸木田嘉久の供述部分は、前記疎明資料に対比して措信し難い。)、昭和三六年頃までは、塊炭と粉炭の各出炭の割合が七対三位の割合で塊炭も硬質であり、且つ高カロリーであつたため、石灰焼成用、暖厨房用、菓子工場の燃料用等に相当の需要もあり、粉炭も煉、豆炭用に向けられ、逐年販売量も増加していたところ、同年下期に水準下開さく工事をして以来、右出炭割合が逆になり、且つ塊炭の炭質もやわらかくなつたためカロリーもやや低下し、昭和三七年頃からは、菓子工場等の需要も漸減し始め、粉炭の方も、需要者の方で次第に品質をやかましくいうようになつてきたことと、このことも一因でその頃から新しい得意先の開拓も困難になつてきたこと等のため、硫黄分の多い松沢炭は、煉、豆炭用としては、その販路も次第に狭くなつてきた事実を一応認めることができ、右認定に反する申請人本人宮本留雄の供述は、にわかに信用し難い。しかし、一方、前記土居商作の供述によれば、松沢の粉炭も、焼結剤としての用途には、決して向かないものではないこと、松沢炭の取扱業者たる同証人としても、松沢炭の売行きの悪化については心配していたが、同炭礦が閉山するとまでは考えていなかつたこと等が一応認められ、また、前記宮本留雄の供述によれば同炭礦に隣接する紀和炭礦の石炭は、炭質においては松沢炭と殆んど変らず、むしろ松沢炭の方がカロリーも高く、硫黄分も少ない位であるのに、右炭礦では、従業員を新規募集し、増産に努めていること(但しこの点については、証人金谷春雄の供述(第一回)によれば、紀和炭礦は、松沢炭礦より合理化が進んでおり、生産能率もよく、古くから粉炭の販路も有し、宇部のハブ炭礦が販売面を一手に引き受けていることが一応認められるので、これらの点を考慮すると、松沢炭礦を紀和炭礦に比較して考えることは相当問題であろうけれども)、及び松沢炭礦では閉山に至るまでの間、昭和三四年頃、一時休山したほかはかつて生産規模を縮少したこともなく、むしろ常々経営者側から増産を督励されていた位であること等が一応認められ、また、昭和三七年中には、コンプレツサー、ダンプカー等を新しく購入し、更にボタ土場、ボツク等の拡充整備をしたことも当事者間に争いのない事実であつて、以上の諸事情を合わせ考えると、松沢炭の販売状況は、昭和三七年頃より特に生産の大半を占める粉炭の需要が漸減傾向を示してきたため、全体として、営業成績があまり振わなくなつてきたことは一応これを認めなければならないが、前記のとおり、無煙炭業界一般においては、現在必ずしも不況とは認められず、また、松沢炭に硫黄分が多いという不利な面も、同炭が高カロリーであるという有利な面を活用するにおいては、その業績の不振も克服する余地がないとは考えられず、しかも、なお一層の生産方式の改善と販路開拓への経営者の熱意さえあれば、その不振を挽回することもあながち困難なことではないとも考えられるのである。

(二)  そこで、次に被申請人側が従来現組合ないし組合幹部に対し如何なる態度を示してきたかについて考える。証人白樫定雄、同太田照男、同宮本勇、申請人本人宮本留雄、同稲谷ふじ、同桑原久枝、同市山てるへ、同岩本然熙、同松本幸成、同中地ムスヱ、同松実豊繁等の各供述を合わせ考えると、被申請人側の新、旧両組合並びにこれ等組合幹部に対する態度、これに対する右両組合の態度、その他申請人等が申請の理由第二、の三の(3)、の(イ)ないし(ハ)において主張するような事実は、ほぼそのとおり(但し後記の点を除く)認めることができ、右認定に反する証人金谷春雄の供述(第一回)は信用できず、他に右認定を左右するに足りる疎明方法はない。もつとも、「金谷春雄が前の執行部のような組合であれば、再開について話し合いしないでもない」といつたとの主張については、前記宮本留雄の供述によれば、「前の労働組合の幹部となれば、閉山について話し合いをするけれども、今の幹部とは、そういう話し合いをする気にはなれないといつていた」ということは、認められるが、右にいう「閉山について話し合い」というのは、前記金谷春雄の供述に対比すると、必しも再開の方向への話し合いということとは認め難いので、この点に関する限りは、右主張を一応認めることはできない。

(三)  以上要するに、松沢炭礦は、昭和三六年頃までは、過去数年間、ともかくも赤字経営を続けながらも、組合活動の不活発なことにもよる低賃金に支えられて、販売面においては、徐々に実績を上げていたが、翌三七年頃より塊炭が減り、粉炭が多くなつたこと等の理由から、粉炭の販路開拓も急にはできず、且つその需要も減る傾向を見せてきた折柄、前記宮本留雄を委員長とする新執行部の誕生によつて、組合活動が急激に活発になり、前記金谷春雄を初めとする被申請人側職制も、これに対し前記認定のような各種の手段を弄して、対抗策を講じたが、一向にその効なく、同年の年末斗争、翌三八年の春斗においては、いずれも組合側が従来にない大幅の越冬資金、或いは賃上げ等を獲得することになり、かくて、被申請人側においては右春斗の最中において閉山の通告をし(但し、これは組合側の猛烈な反対にあつて、即日撤回)、次いで同年五月二八日再度閉山の通告をするに至つたこと、また、当時における同炭礦の経営の実情は、赤字経営とはいいながら、それが企業経営の限界を越えるほどのものであつたとも思われず、またその販売面においても、将来好況は望めないとしても、回復の見込みのないほどの行きづまり状態にまでに立ち至つていたとは認められないこと等から考えると、被申請人ないしその礦業代理人である金谷春雄等が現組合或いはその幹部等の態度を快よく思わず、できることならば現組合を再び旧組合のような経営者に比較的従順な組合に改めたいという気持を懐いていたであろうと一応推認するに難くないこと、しかも松沢炭礦が前記のような実情下にあるので、現組合の下ではもはや従来のような低賃金策を維持して事業を継続することはできないものと考えるようになつたこと等が同人等をして本件閉山を決意せしめる一因となつたことも否定しえないところであると考えられる(これに反する証人金谷春雄(第一ないし第三回)及び同和田周二の供述部分は、そのままには信用し得ない。)。しかしながら、このことに、他方また(1)、前記に認定したとおり松沢炭礦では、ここ数年来赤字経営が続いてきたこと、(2)、前記に認定してきたところから一応明らかなように現在一般的には無煙炭業界の需要は、一応安定しているとはいえ炭価の面では殆んど変動のない反面、他の諸物価は、毎年相当の上昇を続けており、また同業者、ことに大手炭礦等との販売競争をも考えると、同炭礦のような低能率炭礦にあつては、今後も各面に亘つて相当の合理化を進めていく必要があるものと考えられるところ、そのための資本投下をして将来これを回収し、更に相当額の利益まであげていける見込があるかどうかについては、今後の需要の動向、政府の石炭政策等とも密接に関連してくることではあるが、相当疑問であると思われること、(3)、被申請人は、前記に認定したとおり、現に参議院議員としての公職にあるほか、同炭礦以外にも数多の事業に関係しているのであつて、同炭礦における事業の継続が必ずしも不可能ではないとしても、以上に認定してきたところから考えると、何も赤字経営の続いた、しかもこれが立直りには前記のように相当疑問と思われるような同炭礦だけに執着しなくとも、他の有望確実な事業に資本を投下するほうが得策であるとの考慮も働いて同炭礦の閉山を決意したとも思われること、及び(4)証人和田周二の供述(第一回)によつて一応その成立を認め得る乙第二二号証の二に証人金谷春雄の供述(第一ないし第三回)を合わせ考えると、被申請人は、昭和三八年二月一一日、同炭礦について石炭鉱業合理化臨時措置法に基づく整理促進交付金の交付申請をし、現在、合理化事業団による現地調査を受ける段階に至つていることが一応認められること等の諸点を対比して考えると、被申請人側の現組合ないしその幹部に対する前記のような態度なり考え方が本件閉山の一因となつたことの否定できないことは前記のとおりであるとはいえ、そうだからといつて本件閉山が申請人等の主張するように偽装のものであり、これに伴う申請人等の解雇が現組合を壊滅することを決定的原因として行われたものであるとまでは到底認めるわけにはいかないのである。

そして、他に本件解雇が申請人等主張のように不当労働行為であると認めしめるに足りる疎明資料はない。

そうだとすると、本件解雇が不当労働行為として無効であるとの申請人等の前記主張も理由がない。

(四)  なお、申請人等は、本件閉山は、営業廃止の自由の濫用であると同時に公序良俗に違反するものであるからこれに伴う本件解雇も無効であると主張するけれども、このような事実を認めることのできないことは以上に認定したところから明らかであり、他に、右主張事実を認めるに足りる疎明資料は全然ないから、この主張も理由がない。

六、以上の次第で、申請人等との間の雇傭契約は有効に解約せられて既に終了しているものといわなければならないから、結局、本件仮処分によつて規整すべき権利関係ないしはその被保全権利についてはその疎明がないことに帰着し、この点保証をもつて代えしめることもできないので本件仮処分申請は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。

第二、乙事件についての判断

一、本件申請理由中、第四の一の事実、並びに申請人がその主張の日時に全従業員に対してその主張の日時を以つて松沢炭礦を閉山し、且つ全従業員を解雇する旨の予告をしたこと、及び被申請人組合が右閉山並びに全従業員の解雇に反対し昭和三八年七月一日以降スト権を確立し、その上部団体である総評傘下紀南労働協議会の支援の下に右閉山解雇の撤回斗争を行つていることはいずれも当事者間に争いがなく、また申請人が同年二月一一日石炭鉱業合理化臨時措置法に基づく石炭鉱山整理促進交付金の交付を受けるために石炭鉱業合理化事業団に対してその交付申請をしていることは、甲事件において既に判断したとおりである。

二、そこで、まず被申請人組合は、甲事件においてその申請人等が主張しているところと同一の理由で、前記解雇は、不当労働行為として無効であり、本件仮処分申請もまたその一環として同組合を脅し、その団結を切り崩す意図の下に行われたものであるから、権利の濫用として却下されるべきものであると主張するのであるが、右不当労働行為の主張が認められないことは、既に甲事件において判断したとおりであるから、その前提において理由のない以上、右権利濫用の主張も採用できない。

三、よつて以下本件仮処分申請の理由の有無について検討するに、甲事件において判断したとおり、本件解雇を無効とすべき理由がない以上申請人のした前記解雇の予告は、有効というべく、従つて、同年七月一日以降は、申請人と被申請人組合所属の組合員を含む全従業員との間の雇傭関係は、消滅したものといわなければならない(もつとも、証人金谷春雄の供述(第一回)によれば、同日以降前記事業団による整理交付金交付手続終了に至るまで、申請人主張のような目的で同炭礦の旧職員等を残務整理要員として再雇傭していることが一応認められるが)。

四、申請人は、被申請人組合の組合員等が第一番坑坑口前にピケを張り、右整理要員等の入坑を阻止しているため、同坑内の保安業務は、殆んど放棄せざるを得ない状況に置かれていると主張し、被申請人組合は、未だかつて保安業務のための入坑を妨害した事実はないと主張するので、この点について考える。

証人金谷春雄の供述(第一回)によつて一応その成立を認め得る乙第三一号証、証人中前昇昌の供述によつて一応その成立を認め得る同第三五号証、同第三六号証の一ないし四、証人和田周二の供述(第一回)によつて一応その成立を認め得る同第三六号証の五に右金谷春雄(第一回)、中前昇昌の各供述を合わせ考えると、被申請人組合は、本件閉山以降、閉山絶対反対を叫び、昭和三八年九月上旬頃からは、第一番坑坑口の軌道上に木材を並べ、その上に畳を敷いて、一列縦隊で通行できる程度の空間を残して坑内への通路を塞ぎ、常時七、八名の組合員がその上に座り込みを続け、非常の場合には、何時でも三、四〇名の組合員、その家族、及び支援労組員等を同所に集合させ得る態勢を整えていることを一応認めることができるほか、

(1)  昭和三八年一〇月二三日、申請人側では右整理要員等五名が坑内点検のため、右坑内へ入坑しようとしたところ(右五名のほかに金谷春雄等八名の整理要員が坑口まで同行)、組合側は、組合員、その家族、及び支援労組員等二九名位が右坑口に集まり、ピケを張り、組合員の坑内への同行を要求し、右金谷等はこれを拒否して押し問答となつたが、結局、その際は、整理要員四名のみが組合側の了承の下に入坑することができたこと、

(2)  翌二四日、申請人側では右整理要員等五名が右坑内保全作業のため入坑しようとしたところ、組合員及びその家族等四四名位が右坑口においてピケを張り組合員の就労を要求し、整理要員側はこれを拒否して押し問答となり、その過程で一時整理要員が組合員を押しのけて入坑しようとしたため、これを組合員二名位で押し止めるということもあつたが、結局、四五分位右同様の押し問答を繰り返した末、整理要員側は、入坑を断念して引き揚げたこと(なお、証人和田周二の供述(第一回)中、同日整理要員等四名のみ入坑しているように記憶している旨の供述部分があるが、この点は、前記各疎明資料に対比して信用し難い。)、

(3)  同年一一月五日、申請人側では予め被申請人組合執行委員長に連絡の上、整理要員二名が同坑内点検のため入坑したところ、二〇馬力のポンプが水没寸前であることが判明したので、右ポンプの撤去搬出をすべく、整理要員三名が入坑しようとした際、組合員三〇名位が同所において、ピケを張り点検だけならよいが、作業をするのであれば自分達にやらせろと要求し、約四〇分位押し問答をした末、結局、組合員三各の同行を認めた結果入坑することができ、右ポンプを坑外へ搬出することができたこと、

(4)  同月九日、申請人側では前記ポンプを整備の上、整理要員四名がこれを同坑内に搬入据え付けるために入坑しようとしたところ、組合員約三〇名位が同所においてピケを張り組合員四名に就労の業務命令を出すよう要求し、約二時間位押し問答した末、結局、整理要員側は、入坑を断念して引き揚げたこと(これに反する証人宮本勇、甲事件申請人本人宮本留雄の各供述部分は、前記各疎明資料に対比して信用し難い。)、

(5)  同月一二日、申請人側では、前記ポンプを同坑内に搬入して緊急に排水作業を行う必要があるとし、組合側の少々の抵抗はこれを排除してでも強行入坑しようという方針の下に、整理要員一四名がポンプを台車に積んで坑口に至り、先ず鉱業代理人金谷春雄より同所にピケを張つていた組合員三、四〇名位に対し、前記軌道上の障害物を除去して同所より退去するよう求めたが、同組合員等はこれを拒否し、更に、整理要員が同趣旨の通告文を坑口附近に掲示しようとすると、組合員数名がそれを制止しようとしたこと等から双方紛争状態となり、また一方整理要員が前記台車を坑内に押し込もうとしている際、組合員三名がその前方軌道上に寝転んでその進行を阻止する等の事態が発生した(もつとも、この点については、証人太田照夫、同宮本勇、並びに前記宮本留雄等の供述を合わせ考えると、当時整理要員等のうち数名の者が組合員数名を殴打する等の挑発行為があつたため、一部組合員によつて激こうの余り突発的に誘発されたものであることが一応認められるのであるが)ため、申請人側は、警察官の出動を要請し、これに応じて出動した約三〇名位の警察官が約四〇分位に亘り組合側を説得した結果、組合側は、整理要員四名に組合員四名が同行するということで入坑を認めたので、同人等によつて前記ポンプを同坑内に搬入したこと(右認定に反する前記宮本留雄の供述は、信用し難い)、等の事実を一応認めることができるのであり、他に以上の認定をくつがえすに足りる疎明資料はない。

ところで、被申請人組合所属の従業員が申請人によつて有効に解雇せられたものであることは既に甲事件において判断したとおりであるが、同組合側がその解雇の効力を争い、申請人側に対しその無効を主張して就労を要求すること、また、炭礦施設の撤去を断念し事業を再開するよう要求すること等が自由であることは勿論、その目的達成のために団体交渉をし、団結の示威或いは平和的説得等の方法による争議行為をする権利も右解雇の効力を争う限度でこれ等被解雇者所属の被申請人組合にも保障されているものというべきところ、前記認定のような組合側の一連の行為は、全体としては必しも右権利の範囲を逸脱しているものとは考えられない。

五、ところで、申請人側が前記のような挑発的行為に出ないまでも、組合側の説得に応じないで、あくまでも坑内保全の目的で入坑を強行しようとする場合、或いは、前記事業団の調査が強行される場合、果して組合側が如何なる態度に出るであろうかは、一考を要する。

そこで、この点について考えてみるに、証人金谷春雄の供述(第一回ないし第三回)並びに石炭鉱業合理化臨時措置法及び同合理化事業団業務方法書等の規定に徴すれば、申請人側による坑内保全の目的は、前記合理化事業団より交付金を受けるについて鉱業権、鉱区、坑道等の評価を目的として行われる右事業団の現地調査の準備のためであること、そして、右現地調査を行うについて石炭合理化事業団業務方法書の規定(同方法書第三九条第四項第十一号)によつて提出を要求されている「調査に関する労働組合の同意書」も、本件仮処分申請が裁判所によつて認容された場合には、右規定にかかわらずこれを提出しなくても、現地調査が行われるものであること、右現地調査が完了すれば、前記交付金の交付手続に移行し、結局は申請人の有する鉱業権等は消滅するに至ること等が一応認められるのであつて、このような目的ないし前提に立つてする申請人側の坑内保全に対し、閉山絶対反対、事業再開を叫ぶ組合側が到底賛同する筈のないことは明らかである。被申請人組合が坑内保全に賛成であるというのは、その主張自体からも明らかなように、あくまでも事業再開を前提としてのそれであるに過ぎないばかりでなく、更に、これに被申請人組合の執行委員長である前記宮本留雄が申請人側において坑内施設の撤去のため入坑するのであれば、実力を以つてしてもこれを阻止する旨供述している点を合わせ考えると、申請人側が坑内施設を撤去するような場合には組合側が実力によつてでもこれを阻止する虞れは十分あるといわざるをえず、また、組合側がこのような場合にかかる実力行動に出る虞れのあるのは、結局坑内施設の撤去が組合側の最終斗争目標である事業再開の可能性を失わしめるに至る点にあると考えられるところよりすれば、これと同じ結果を招来するに至る前記事業団の調査に際しても組合側が右と同様の態度で臨むであろうことも一応推測するに難くなく、ひいては、その準備のためにする坑内保全についても右と同様の態度に出るものと一応認めざるをえないのである。また、被申請人組合としては、前記のとおりその所属組合員の家族、並びに前記上部団体労組員等の支援を受け、これ等第三者をもピケに参加させている現状からみて、右のように実力行使を必要とするような場合には、事態に即応して、これ等の者をもこれに同調せしめる虞れも一応ないとはいえないものと考えられるし、また、これまでのところ、被申請人組合がその組合員または前記第三者等を申請人側の意に反して第一番坑坑内へ立ち入らせたことの疎明のないことは同組合の主張するとおりであるが、前記実力行使が行われるような事態が生ずるにおいては、それは単に坑外だけに止まらず、勢い坑内にまで及ぶ虞れのあることも一応考えられないことではない。

六、ところで、申請人が同炭礦の鉱業権者であることは、前記のとおり当事者間に争いがなく、また、同人が別紙第一図面中の朱線で囲まれた鉱区内における坑内外の機械器具その他の施設の所有者(但し、坑外の土地の一部は賃借地)であり、且つその占有者(各坑道を含む)であることについては被申請人において明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきところ、前記事業団による現地調査に対する組合側の妨害は、すなわち、ひいては鉱業権者たる申請人のその権利の処分行為の妨害に該るものというべきであり、また第一番坑内の保全行為等のため申請人側の整理要員等が同坑内へ出入りするのを妨害する行為、また被申請人組合所属の組合員その他第三者が申請人の意に反して同坑内へ立ち入る行為は、いずれも申請人の同坑道に対する占有を妨害するものということができるから、前記のとおり、その妨害の虞れのある以上、申請人においてこれが予防のため、適当な措置を求めうべき権利のあることは明らかである。

七、そこで、申請人の本件仮処分の必要性について検討する。

証人和田周二の供述(第一回)によつて一応その成立を認め得る乙第二二号証の二、第三三号証、成立に争いのない同第三四号証に証人金谷春雄(第一回ないし第三回)、同中前昇昌の各供述を合わせ考えると、申請人が前記第四の五の(一)、(二)において主張するところとほぼ同様の事実を一応認めることができ、他にこれをくつがえすに足りる疏明資料はない。

なお、被申請人組合は、申請人側は、第一番坑内の坑木の整備の必要なることを主張しながら、これが可能なるにもかかわらず、今日まで何等対策を講じなかつた旨主張するのであるが、この点については、前記のとおり、坑木の整備の前に先ず行われなければならない坑内の排水作業そのものについても、これを申請人側が強行しようとすれば実力でこれを阻止される虞れがないともいえない現状においては、申請人側が右坑木の整備をしなかつたとしても、必ずしも申請人を非難することはできない。

また、証人宮本勇の供述によれば、昭和三八年一一月一二日申請人側が坑内に排水ポンプを設置しようとした際、処理を誤つてポンプを水につけてしまつたが、その後は、申請人側がポンプの修理並びに排水作業を行つていないこと、また翌一二月には、申請人側において坑内の電源を切断してしまつたこと等の事実も一応認められないことはないが、証人中前昇昌の供述によれば、前記ポンプの据え附けに失敗した後も、同年一一月一四日、同月二二日頃の二回に亘り整理要員等が入坑しようとしたが、いずれの場合にも、組合側は、組合員の同行を要求し、若しこれに応じない以上、絶対入坑させない等といつて頑張つたため、入坑を断念したことが一応認められるのであつて、申請人側が前記のようにポンプの据え附けに失敗した以後において前記排水作業を殊更に放置していたものとも思われない。

また、前記のように電源切断の事実があるとしても、申請人が本件仮処分を申請していること自体からみて、これを以つて申請人が坑内保全の意思を最終的に放棄したものとみることもできない。

そこで、前記認定事実によれば、本件仮処分をすべき必要性があるものといわなければならない。

八、以上の次第であるから、被申請人組合に対して妨害禁止並びに立入禁止を求める申請人の本件仮処分申請は理由がある。なお、申請人は、本件において右の仮処分命令について執行吏による公示その他の適当な措置を命ずることの仮処分命令を申請しているけれども、この種仮処分で右のようなことを命ずることは、その性質上許されないものと解するのが相当であるから、この申請は理由がない。

第三、よつて、甲事件については、申請人等の本件仮処分申請をいずれも失当として却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項、第九五条を適用し、また、乙事件については、申請人の本件仮処分申請は、主文二の1、2掲記の限度で正当としてこれを保証をたてさせないで認容し、その余を失当として却下することとし、申請費用の負担について、同法第九二条を適用してそれぞれ主文のとおり判決する。

(裁判官 唐松寛 大野孝英 住田金夫)

(別紙省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例